二回目は市内全域より、一回目の歴史的なものに加え、赤谷、滝谷地区の景観という新たな視点から推薦したものも加えた。(平成12年度)


(庭に新発田川が流れる)石崎邸(石泉荘)

諏訪町3−11−21

お問合せ:0254-22-3383

 庭の中央に新発田川が静かに流れ、明治初期までは筏流しがあったという。石泉荘に入ると、意匠を凝した石畳、簡素な佇まいが目につく。この庭にくり拡げられた四季の自然美、折々の風情が十分に鑑賞できる。花木百本余、それぞれ特徴を持つ。明治初期焼失後、藩臣家屋の古材を使って再築されたもので、杉材で客室・板敷・廊下など実に簡素な建築である。大正十年、八十四才の当時の俳人、初代新発田町長・原宏平氏は「石泉荘の庭を見て」と題し、「山ありて やまおもしろく 瀧ありて たきおもしろく 見ゆる庭かな」の歌碑がある。

 

   

(教会建築の源泉)新発田カトッリック教会

中央町4−7−7

 アントニン・レーモンド氏設計による構築、屋根を支える杉丸太の入組みと煉瓦の壁からなる構築物がそのまま仕上げられ空間を構成している。また、教会の形式を踏んで祭壇を囲んだ円形配置の様子、祭壇真上にある六角錐の尖塔による吹き抜け、そこから三方に向かう傾斜切妻屋根やレーモンド夫人製作のステンドグラスは大いに眼を惑く。異国風のこの建物は市民にいかに感じられるだろうか

 

   

(職人の長屋)四ノ町 白勢長屋

御幸町一丁目

 四ノ町とは材木町・紺屋町・職人町・定役町の通称、中でも材木・紺屋が最も古く、この一帯は偶数日に野菜市を設けた。その後、日常品・古着・魚類などが取引され、相当に賑わっていたという。その後、金塚の白勢氏が五寸五分の梁材を基にして長屋を建築したが今では個人所有となっている。簡単な工法で造られているがいかにも庶民の味がする。

 

   



(敷地内見学不可)

(蛍舞う棚田と茅葺き集落)上赤谷、滝谷集落の景観

赤谷地区は上赤谷、滝谷、滝谷新田の三つの集落からなっている。赤谷の歴史は古く、縄文中期から人間の営みがあった。

上赤谷−旧国鉄赤谷線跡の細い道路を昇ると、右手は崖、左手は棚田が何枚も重なって視界が広がる。その先は小高い山々に囲まれた小さな盆地が開け、後ろは二王子・焼峰岳に続く。

「春」田は水に満ち、新緑と湖面と化した棚田の落日は弥生の風景を思わせる。「夏」漆黒の山々を背景に数千匹の源氏ホタルが舞い、自然が話しかけてくる様だ。「秋」黄金色の棚田と錦に染まった山々は豊穣の里に変わる。「冬」白一色に埋め尽くされた世界は、原始に戻る。上赤谷の景観は、自然と人が縄文の時代より共生してきた原風景として将来に繋げたい。 ?

 滝谷−焼峰岳の登り口、一番奥の集落で、戊辰戦争の戦禍から免れた。茅葺き屋根が重なり、その間を結ぶ路地を歩く時、江戸時代に迷い込んだような時間を超えた不思議な空間が開けていた。近代化という破壊から守られてきた集落の豊かさは、新発田市民にとって歴史的証であり貴重な財産に思えてならない。その価値が今問われている。